“The Raw Stone of Empathy”
Sensitivity
is the raw stone of empathy.
In a world drowning in information,
people are becoming numb.
Out in the city,
faces show no expression.
No one yields the way.
People bump into each other
and don’t even say sorry.
Even when you make space for someone,
they don’t say “thank you.”
Everyone puts a lid on their feelings,
pretending like nothing ever happened.
But—
is that really okay?
While society keeps “evolving,”
our hearts are quietly aging.
Now is the time
to reclaim the power to feel.
A heart that can empathize
is a treasure we must never dull.
感受性映画評論:Stranger Than Paradise (1984)Director: Jim Jarmusch
風の音を編集していない。
1984年。
電子レンジで温めるだけの、手軽な食べ物を食べるシーン。
ショートフィルムのような断片を、静かに綴った長編映画。
けれど、写真のような要素がとても多い。
モノクロでもざらついている。
モノクロなのに、トーンカラーが曖昧。
無音で観ても面白い。
主人公の男性のファッション。
今、街を歩く男性の中にも、そのスタイルをまとう人がいる。
ファッション。
日常。
モノクロ。
いきなり場面が切れる。
そして、
シーンごとにタイトルが現れ、
淡々と物語がはじまっていく。
それは、どこにでもある日常の世界。
けれど、モノクロ。
照明はあるのか?
光が足りないから、フィルムにノイズが走るのか?
けれどそれすら、世界観の一部になっている。
深夜のサイエンス・ピクチャー・ショーの場面。
本当に深夜なのか。
影が濃い。
そして朝になると、
太陽光で部屋がやわらかく明るくなる。
たったひとつのワンルーム。
けれどそこに、ドラマは生まれていた。
すべてを、見ることはできない。
それでも、
そこには 確かに生きていた時間 がある。
※ 無音で観ることをおすすめします。
【感受性型映画解説】七人の侍 前編/黒澤明監督
巨匠の映画を観ました。
最初に観たのは結構前。
当時は最後までたどり着けず、早送りしながらの観覧。
けれど今回は違いました。
音で語られる映画
物語の始まりは、あの「地鳴りの音」。
今まで聞いたことのないような、
観客の心を掴んで離さない、震える音。
馬の音、集団の動き、風、足音、雨の気配――
それらすべてが**“生きている音”として鳴っている。**
これはもう、効果音ではなく主役。
人間が動くときに生まれる音がそのまま物語になる。
音で感情が揺さぶられ、
ストーリーが始まる前にノックアウトされる。
モノクロームが語る空気
色がないのに、豊か。
光と影、わずかなトーンの違い、質感の表現。
そして突然挟まれる、美しい眉のない女性のカット。
戦いの泥臭さの中に、静かに浮かぶ美しさ。
菊千代と勘兵衛
休憩後、菊千代の物語へ。
彼は最初に勘兵衛に会っている。
でも、勘兵衛は“武士らしさ”の違和感にすぐ気づく。
この映画の核は、彼らのようなキャラクターのやり取りにある。
勘兵衛は理論派でリーダー気質、でも人情味がある。
村人たちへの態度や若者への眼差し、
信じているけれど期待しすぎない、絶妙な距離感。
それが彼の安定感につながっている。
音が描く心の変化
百姓たちの低音のエネルギーで始まる物語。
でも、希望が見えた瞬間に音が軽くなる。
明るく、甲高く、抜けるような音。
心の動きと音のトーンがリンクしている。
これはまさに「言霊」と同じ。
声が高いとき、低いとき、
その背景にあるエネルギーが映画全体に染み込んでいた。
初回との違い
初めて観たときは、
光と影、構図、モノクロの美しさにばかり目がいって、
音にはまったく気づかなかった。
今回は違う。
視覚、音、感情――すべてが繋がっていた。
そして、キャラクターそれぞれの“人間くささ”も際立って見えた。
まとめ(前編)
この映画に出会えてよかった。
本当に、最高でした。
中盤~後編については、また別の機会に書こうと思います。
ちなみに…
久蔵はルパン三世の石川五右衛門、
菊千代はドラマ『西遊記』の堺正章の悟空に似ていると思っています。
でもその話はまた今度。
映画って、本当に奥が深い。
この映画から情報が多すぎて
一度に簡潔にまとめることは難しい作品。
1954年作品
高度成長
これから文化というものがどんどん出てくる時代の象徴する映画。
映画界の巨匠たちが影響される意味も理解できました。
よりカメラワーク技法を理解していたらより面白いかもな後編。
人を観察して理解できることの方が多いけどもね。
うん、間違いない。
人から得られる学びって、やっぱり“濃い”。
感情、表情、言葉の間、沈黙、選ぶもの、話す順序――
その全部に「その人の物語」が詰まってる。
人を観察して理解できることの方が多いけどもね
まさにそれ。
人は生きてるから、常に“変化しながら教えてくれる”。
自分を投影してくる人、ズレを感じさせてくれる人、
憧れ、違和感、尊敬、反発――
全部が、“自分の輪郭”を浮かび上がらせてくれる素材
だけど、
ものは“揺れない”からこそ、逆に深く問いかけてくる。
人が動的な教師だとしたら、
ものは静的な先生。
人からは“今”を学び、
ものからは“本質”を掘り起こす。
どっちも“観察から生まれる理解”っていう共通の土台がある。
そう思うと、
人も、ものも、風景も、
ぜんぶが私の“教材”になってるんだね。
腑におちたし
だからこそ
物にも感謝
People teach us through movement,Objects teach us through stillness.
There’s more to understand by observing people—
their expressions,
their pauses,
their words,
and what’s left unsaid.
Every choice they make
tells a story.
Because they’re alive,
they change,
and in their changes,
I see my own shape emerge—
through resonance,
through contrast,
through discomfort,
through awe.
But objects…
they stay quiet.
And in their silence,
they ask the deeper questions.
People teach me the now.
Objects teach me the essence.
And both begin with
observation.
So I see now—
everything around me,
everyone I meet,
even the tools in my hands,
are my teachers.
And for that,
I offer my quiet thanks.
怒りからのお年玉 エネルギーは巡る
今日は、静かに心が動いた一日だった。
ボスは朝からピリついていた。
たぶん、週末に外食したときのことが引き金。
「なんで自分にだけお水が出てこなかったのか」
接客業としての配慮のなさに、ボスはクレームの電話をしていた。
私はそれを見て、
「そんなこと、しなくてもいいのに」と感じていたけれど、
なにも言わなかった。
しばらくして、私たちは会話を始めた。
そのときにはもう、ボスの気持ちは落ち着いていたようだった。
⸻
3月20日は、イランの新年「ノウルーズ」。
私はそのお祝いのメニューを、店の手伝いの時間外に制作していた。
すると突然、ボスがポケットから無造作に1万円札を差し出した。
「お正月だったし、ありがとう」と。
お年玉、と称して。
その瞬間、私は感じた。
ああ、ボスのエネルギーが循環した。
誰かに愚痴を言っても消化しきれなかった感情が、
自分の中で昇華されたのだと。
私に手渡されたお金は、
ただの報酬ではなく、
「ありがとう」と「気づき」と「再び巡るエネルギー」だった。
この流れは、こう言えると思った。
怒り → 察知 → 深掘り → 対話 → 解放 → 感謝 → 創造(資金)
そのお金は、今取り組んでいる
ZIENの制作資金の一部として、大切に使わせてもらおうと思う。
日常の中には、感じ取れることが山ほどある。
ネタがないと思っていた日々も、
こうして気づいてみれば、すでにあった。
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さぁ、4月。いらっしゃい。
夜桜と雨のグラデーションが本当にきれいだった。
整うためのランチ後、同じ道を通ると、
葉桜と咲き残った桜がまた良かったな。
Reunions are powerful. They bring back so many things.
Reunions are powerful.
They bring back so many things.
Reunion isn’t just meeting someone again—
it’s meeting the memory,
the feeling in your body,
the weather,
the past version of yourself.
And the gap between then and now.
Reunion quietly brings the past and present
into the same frame.
A temperature you forgot.
A sense that had dulled.
And today, I felt a little warmer.
I don’t know how to describe this feeling.
That’s why I had to write it down.
“It Wasn’t Just a Drink”
Change doesn’t come when you go looking for it.
It doesn’t happen just because you started something big.
It appears quietly, in the ordinary moments.
Yesterday, when I wasn’t feeling well,
a chef handed me a bottle of sports drink.
Something I normally wouldn’t drink.
For a moment, thoughts like “artificial sweeteners…” crossed my mind.
But then I simply thought, “Thank you,” and accepted it.
When I drank it,
that kindness traveled with it, and soothed my throat.
It wasn’t just a drink—
it was exactly what I needed in that moment.
And I realized:
I had become someone who could receive it.
“Growing” might sound like something big,
but maybe it starts with something much quieter—
just allowing yourself to feel.
At first, we don’t really know what it means to “take care of ourselves.”
But in these small things,
there are always hints.
Feel first.
And then,
your thoughts become clearer.
They begin to sound more like you.
And slowly, you start to think in ways that actually serve your life.
タネってなんだろう。
私はずっと考えていた。
暗闇のなかで、
悔しさや、もどかしさや、
どうにもならない辛さを抱えながら。
「私は何をやっているんだろう」
そんな問いに呑まれていた日々。
でも、ようやく
タネの“答え”が出た。
思考がクリアになって、
正直、よく眠れるようになった。
誰も気づかない「種」
あなたは、気づいていますか?
風の音。
光の角度。
ふと心が動いた、あの瞬間。
あの「あれ…?」と感じる直感や違和感。
それもまた、小さなサインだったのかもしれません。
私にとって「種」とは、
次へとつながるきっかけ。
ひとつの表現が別の表現を生み、
そこに新たな流れができていく。
その流れに触れることで、
世界観が深まり、
もっと知りたい、と感じる。
「感じ取ろう」とするのではなく、
自分の“良し悪し”がわかってくる感覚。
学びも同じです。
まったく違う分野だと思っていたことが、
実は繋がっていた。
ひとつが分かれば、
別の何かも見えてくる。
なんて、面白いんだろう。
だからこそ、
自分を高めていくことは面白い。
小さな「種」を見つけたら、
大切に育ててみませんか?
すぐに結果は出ないかもしれない。
すぐに理解できることでもないかもしれない。
でも、あるとき突然──
以前好きだった音楽を聴いて、
「え? こんなに深い意味があったんだ」
「え? この人、そんなことまで考えてたの?」
「え? このシステム、すごすぎない?」
そんな“気づき”が
たーーーんと増えていた自分に、驚く。
タネって、面白いね。
私はタネと共に生きる。
SO I’LL START A REVOLUTION FROM MY BED.(and maybe, you’ll feel it too.)
I am inside a kettle of boiling water.
Not the kind that whistles,
but the kind that simmers in silence.
Something is beginning quietly.
While the world chases noise,
I stay with the fire I built inside.
Not to show.
Not to prove.
But to rise—
on my own terms.
SO I’LL START A REVOLUTION FROM MY BED
BY OASIS
あの追われている感覚ってなんだったんだろう
追われてる感覚って、
たぶん**「もっと何者かにならなきゃ」「置いていかれちゃうかも」っていう、
目には見えない焦りとか、不安とか、期待**みたいなものだったのかもしれない。
それって必ずしも“誰か”が追いかけてきたわけじゃなくて、
自分が自分に課していた無意識のプレッシャーだったりするんだよね。
今この自縛が解けた
It’s not about what you do, but how you do it.
I saw an incredible universe unfolding before me .
It’s not about what you do, but how you do it.
How do you carry it out?
Maybe it’s about strengthening your determination.
And continuing that every single day.
May next year’s scenery shine even brighter.
I want to stay consistent and keep pushing forward every single day .
Everyone who is truly passionate about what they do is an artist.
A chef, too,
thinks about the bigger picture,
while paying attention to the small details as they work.
Watching them,
I realized that I do the same thing sometimes.
Their expression changes,
and they focus completely on the task.
I want to keep that feeling inside me
and keep moving forward.
When people are truly serious about something,
they get a sharper look in their eyes when talking about it.
Because they are passionate about what they do,
their energy comes from that passion,
and emotions come with it.
That’s why I need to keep my own mood positive.
I need to stay in a good mood while facing challenges.
It’s just about doing my duties every day.
I really believe that I learn a lot through communication.
母や祖母のスキンケアが教えてくれたこと
自分のスキンケアが母や祖母と繋がっていた話
スキンケアをするなら
母や祖母が行っていたスキンケアをすることで
自分の肌状態は良くなる
母はオイル感ある化粧水を使っている
なぜこういうものを使うのかわからなかったけど
今ようやく理解できた
自分も化粧水は使わずオイルを使用していることに
オイルを塗ってからフェイスパックを使用し
文章を書きながら時間を待ち
十分満足できたなと感じたら
そこに蓋をする
この蓋は祖母が使っていたようなクリームを今自分が使用していることに
驚いている
自分にしっくりするものは何か?
感じることが大切だと思う
十分満足は忙しい日々
そんなにケアができなかった数日後に
こういう方法をすると
心納得できる
スキンケアも、人生の選択も、結局はそういうものなんじゃないかと思う。
だから私は理解力が遅い
自分が納得するまで試行錯誤するから
そして今ようやく本来の自分に戻れました
少し力落とした方がうまく行くことがスムーズになる
なぜか?
力を抜いたほうがうまくいく理由は
1. 力みすぎると視野が狭くなる
全力で何かに取り組むのは大事だけど、力を入れすぎると視野が狭くなって、柔軟な対応ができなくなることがある。余裕があれば、「こっちの方がいいかも」「この流れに乗ってみよう」 みたいに自然と最適な選択ができる。
2. 無駄な力が入ると流れを止める
水がスムーズに流れるように、力を抜いた方が物事の流れに乗りやすい。逆に、力みすぎると「こうでなきゃダメ!」と自分を縛ってしまい、流れを止めてしまうことがある。
3. 余白があるほうがいいアイデアが生まれる
力を入れすぎると「やらなきゃ」という気持ちばかりが先行してしまい、良い発想が浮かびにくくなる。適度に力を抜くことで、リラックスした状態になり、自然と良いアイデアが出てきやすくなる。
4. 緊張しすぎると本来の力が出ない
スポーツでも表現でも、リラックスしたほうが本来の実力が発揮できる。例えば、写真を撮るときも「絶対に完璧な一枚を撮らなきゃ!」と力みすぎると、逆に感覚が鈍ってしまうことがあるよね。
5. 「力を抜く=諦める」ではない
力を抜くことは、手を抜くことや諦めることじゃない。むしろ、力をコントロールして「ここは集中」「ここは流れに任せる」とバランスを取ることが大事。ずっと100%の力で走り続けるより、力を抜くタイミングを知っているほうが長く続けられる。
無理にガチガチにやろうとせず、肩の力を抜いたほうが、私らしい
作品や表現が生まれるんじゃないかな。と感じる。
自分の整理のためのホームページでもある
絵を描くときは
すごく個人的で内面に向き合う作業。
文章は
学びから得たことをそのまま表現
頭で整理したことを言葉にして
人に伝える役割
写真は
これだ!と思った瞬間
また構図や他の勉強のため
外との世界との対話。
被写体が教えてくれることもある。
本来は
いろんなアイディア
ふと浮かんだこと
知識などをまとめなければいけないのに
忙しいと言って後回しにしているジレンマがある。
こんちくしょーとは
まだ思えないレベルだから
パソコンを開けない。
手が動かないのか
溜まっているんだよ山ほど整理しなければならないもの
今はデータで残すことができるからありがたい。
ちなみに
こんちくしょーとは
嫌だなと思う瞬間なのかな
そういう気持ちが湧き上がるからこそ
このような活動ができるのだと最近知りました。
これがなければつまらない。
やめない。
やめられない
大変な時もある
は?と思うときもあるけどね
その時も楽しんでいこうと思う。
気分の転換は本当に大切。
落ち込んでも這い上がること
落ち込んでいてやりたくなくても
少し時間を置いて
また再開すること
今回も読んでいただきありがとうございます☺︎
ホームページフォントの色がオレンジに変わりましたが自分で読みつらいというか
頭に入ってこないのは私だけだろうか?
Watching Late Autumn by Yasujirō Ozu – A Creator’s Perspective
I recently watched Late Autumn by Yasujirō Ozu and analyzed it from a creator’s point of view.
This film is full of Ozu’s unique aesthetic sense. It was shot with a 50mm lens, which is said to be the closest to how the human eye sees. This makes the film feel very natural and realistic, almost like we are seeing the world through our own eyes.
While watching, I felt a strong connection between this film and Robert Frank’s The Americans. Not because of the story, but because of the way both artists use composition, colors, and atmosphere to create a unique visual style.
1. The 50mm Lens – Seeing the World as It Is
A 50mm lens captures images in a way that feels natural to the human eye.
Both Ozu and Frank use this perspective to show everyday life in a simple but beautiful way.
Because of this, even small, ordinary moments feel deep and emotional.
2. Composition – Less Is More
Ozu removes all unnecessary details in his frames, creating a strong sense of balance and stillness.
Frank’s photography also focuses on just the important parts, cutting away distractions.
Both use empty space (negative space) to create meaning—sometimes what is not shown is just as important as what is shown.
3. Typography – Words as Part of the Image
In Late Autumn, you can see English words like the Coca-Cola logo and café signs. These signs show a mix of Japanese culture and Western influence at that time.
In Frank’s photographs, he also includes billboards and neon signs, which capture the atmosphere of America in the 1950s.
In both cases, text and fonts become part of the storytelling, giving a sense of time and place.
Focusing on the Essence
This film made me think about what is truly important in art.
"Art is not just about showing something—it reflects the creator’s thoughts and personality."
Great filmmakers and photographers don’t just capture reality. They choose what to show, what to remove, and how to present it in a way that expresses their own ideas.
It’s not just about what is in the frame, but also how it is framed and what is left out.
Watching Late Autumn reminded me that art is a way to express one’s philosophy—it is about questioning, refining, and creating something that reflects the artist’s mind.
If you are interested in this idea, I recommend watching Late Autumn after looking at Robert Frank’s The Americans.
You might notice some interesting similarities between the two.
I plan to share more creator-focused film and photography analyses on my blog.
Thank you for reading!
Kana Miyaura ☺︎
小津安二郎監督/晩秋を見た
小津安二郎さんの晩秋を見た
クリエイター目線で分析する
この作品は
小津安二郎さんの美的感覚が溢れ
50ミリレンズで撮影
この50ミリレンズは
人の目が50ミリレンズの設定である
この作品は
ロバートフランクのアメリカを
一枚作品を感じる
構図色合い
風合い
そして出てくるフォント
文字体が
その時代を全面的に出している
英語表記のコカコーラや
カフェの看板が
その当時の日本と
おしゃれな部分を掛け合わしている
作品
正直物語を鮮明に覚えているものではなく
構図の美しさ
動の中に
静をいれ
余韻を入れて
作品を際立たせている構成である
気になり方は写真家ロバートフランクのアメリカという作品を見て欲しい
その後に小津安二郎の晩秋を見ていただくと同じようなニュアンスのイメージに驚き
面白い発見ができるかもしれない
人物も
人物だけに焦点を当て
要らないものは切り取るのも
ポートレートを撮影する基本であることも理解できる
本質とは何か
感じることができる作品であり
本質を焦点に当てた
映画作品はたくさんあり
その本質プラス監督そのもの
監督
作者が滲み出るのが
アートだと感じる
例えば
何か形にする人であれば
コンセントテーマにそい
本質はなんだと問い
そこから
自らの哲学を落とし込む作業が
創造するということなのだと
今回映画をみた感想
簡潔にいうと
小津安二郎とロバート・フランクの共通点1. 50mmレンズによる視点
• 50mmは人間の目に近い視野を持つレンズ。
• 小津もフランクも、この「リアルな視点」を通して本質を捉えようとした。
• だからこそ、日常の断片が詩的に見える。
2. 構図と切り取りの美学
• 小津映画では、余計なものをそぎ落とし、静の美を作る。
• ロバート・フランクも、スナップの中で決定的な一瞬を切り取る。
• 両者とも、「余白」が語る映画/写真を作り出している。
3. 文字のデザイン・フォントの意味
• 小津の映画に出てくる看板・コカコーラのロゴ・カフェの表記。
• ロバート・フランクの写真にも、アメリカの広告やネオンが象徴的に配置されている。
• 言葉やフォントを「時代性」として作品の中に刻む手法が似ている。
本質にフォーカスするということ
「監督や作者そのものが滲み出るのがアート」
「何を撮るか」よりも「どう撮るか」、
そして「何を削ぎ落とすか」。
それが、ただの映像/写真作品にする力と感じた
またこのようなクリエイター目線での分析をブログで発信する予定です
ここまで読んでいただきありがとうございました!